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函館地方裁判所 昭和38年(ワ)226号 判決

原告 杉沢リヨウ 外四名

被告 道南石炭株式会社 外一名

主文

被告らは各自、原告杉沢リヨウに対し金二九二、五三三円、原告杉沢真紀子、同杉沢覚、同杉沢尚子、同杉沢敦子に対しそれぞれ金一七六、二六六円および右各金員に対する昭和三八年三月二日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、他の一を被告らの負担とする。

この判決は、原告ら勝訴部分に限り、各被告につき、原告リヨウにおいて金六万円、その余の原告らにおいて各自金四万円の担保を供するときは、当該被告に対し仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求めた裁判

(原告)

被告らは各自、原告杉沢リヨウに対し金一二〇万円、原告杉沢真紀子、同杉沢覚、同杉沢尚子、同杉沢敦子に対し、それぞれ金六〇万円および右各金員に対する昭和三八年三月二日以降右各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

との判決並びに仮執行の宣言。

(被告ら)

請求棄却の判決

第二、原告らの請求原因

一、訴外杉沢重郎は原告杉沢リヨウの夫であり、同真紀子、覚、尚子、敦子らの父であつた。

二、右杉沢重郎(当時四二年)は昭和三八年三月二日午前二時過ぎごろ飲酒のうえ、函館市若松町四一番地先路上に横臥していた。訴外山田政一は同時刻に小型四輪乗用自動車(函五は〇七六一号)を運転して右若松町四一番地先路上左側車道を函館駅方面から海岸町方面に向け時速約四〇キロメートルで進行していたが、その際脇見をして前方注視を怠つた過失により、横臥していた杉沢重郎をその二メートル手前まで接近して初めて発見し、急拠制動措置をとつたが及ばず、右自動車の左側前後輪で同人を轢過し、そのため同人を同市天神町所在市立函館病院に運搬中の自動車内において肝臓破裂に基づく失血のため、同日午前二時三〇分ごろ死亡するに至らしめた。

三、ところで、被告道南石炭株式会社は、右山田政一の使用者であつて、右乗用自動車を自己のため運行の用に供していたものである。また、被告花谷修一は右自動車を所有し、これを同被告個人の私用にも供していたものである。従つて、被告らはいずれも自動車損害賠償法第三条にいわゆる自己のために本件自動車を運行の用に供していたものであり、右自動車の運行によつて重郎を死亡させる結果を招来したから、被告らはいずれもそれにより原告らの蒙つた損害を賠償する責任がある。

四、原告らの蒙つた損害は次のようなものである。

(一)  原告らは杉沢重郎の収入によつてその生活を維持してきたものであるが、同人は、イ、水田一町歩、畑三反を耕し、年収金四〇万円以上、ロ、山林約一〇〇町歩からの造材により年収金六〇万円以上、ハ、土木請負工事により年収金二〇万円以上の各収入を得ていたもので、今後も同人の稼働可能の期間中は右と同額の収入を得る可能性があつた。そして、右の収入から重郎自身の生活費を控除しても年額金八〇万円の収入はあり、同人の余命は二七、七六年と推定されるが今後同人が満六〇年までの一八年間稼働できるものとして、その間の総利益を現在価格に引き直す(ホフマン式単利計算法による)と金六、五二六、〇〇〇円となる。

右の原告らの得べかりし利益の喪失に対し、自動車損害賠償責任保険金五〇万円および訴外山田政一からの香典一万円が補填されたのでそれらを控除した損害の内金三〇〇万円を、原告らの法定相続分に応じて按分すると、原告らの右の損害額は原告リヨウが金一〇〇万円、その余の原告がそれぞれ金五〇万円となる。

(二)  原告リヨウは夫重郎の葬式費用として金一〇万円を支出した。

(三)  原告らが生活の支えであつた夫または父を本件事故により失つた精神的苦痛は、極めて大きいもので、これに対する慰藉料は各原告につきそれぞれ金一〇万円を相当とする。

五、よつて、被告らに対し、前記申立にかかる各金額の賠償を求める。

第三、被告らの答弁および抗弁

(答弁)

一、訴外亡杉沢重郎と原告らの各身分関係は認める。

二、訴外杉沢重郎が飲酒泥酔して原告主張の日時にその主張の路上に横臥していたこと、訴外山田政一が本件自動車を運行して右横臥している重郎を轢過し、これによつて同人を傷害、死亡するに至らせたことは認めるが、右山田には原告主張のような過失はなく、右の事故は後記のようにもつぱら重郎自身の不注意に基づくものである。

三、山田は当時被告会社で雇用中の自動車運転手であつたが、同人は被告会社所有の燃料運搬用トラツクの運転に従事しており、その就業時間は午前八時ごろから午後五時半ごろまでである。また、本件乗用自動車は被告花谷修一個人の所有であるが、その運転は常に花谷被告が自らなしていたもので、しかも買入後相当期間を経過していたから本件事故当時は使用されることなく、車庫内に放置されたままであつた。ところが、昭和三八年三月二日真夜中、山田は秘かに車庫の施錠を開け、本件自動車を持ち出して運行し、その結果原告主張のような事故が惹起された。

右のとおり本件事故の原因となつた山田の本件自動車の運行は、被告会社のためになされたものでないことはもちろん、被告花谷とも全然関係のないものであるから、右運行によつて発生した本件事故につき被告ら両名が責任を負うべき理由はない。

四、原告らが自動車損害賠償責任保険金五〇万円を受領したこと、被告らが山田をして金一万円を持参せしめ、弔意を表明したことは認めるが、原告らにつき被告らの賠償すべき損害が発生したことおよびその額はいずれも否認する。

(抗弁)

なお、被告両名については、次の諸点からも、右事故に対する損害賠償の責任があるものということはできない。

一、被告会社は山田の雇傭、選任にあたつては同人の勤勉な性格について意を払つたばかりでなく、同社の車輛責任者である訴外原田義二をしてその運転資格等を充分調査せしめ、かつ被告花谷自身も本件自動車を施錠した車庫に保管する等被告らはいずれも注意を怠らなかつたものであり、また、山田自身も本件自動車の運行については必要な具体的注意義務をつくしていたものである。

二、本件事故は、被害者である重郎が飲酒泥酔のうえ、真夜中自動車の通行する路上に横臥睡眠していたという異常事態のために生じたもので、重郎には重大な過失があつた。

三、本件自動車には構造上の欠陥または機能障害はなかつた。

第四、立証〈省略〉

理由

一、訴外亡杉沢重郎が昭和三八年三月二日午前二時過ぎごろ、函館市若松町四一番地先国道五号線(ほぼ南北に通じる)の路上で電車軌道敷きの西側車道上に横臥していたところ、訴外山田政一が運転する普通乗用自動車(一九六一年式セダン型トヨペツトクラウン、函五は〇七六一号)(以下単に本件自動車という)に轢過され、肝臓破裂等に基づく失血のため同日午前二時半ごろ死亡したことは当事者間に争いがない。

二、まず、本件自動車の運転者であつた山田政一の過失の有無について判断すると、

成立に争いのない甲第二、第三号証、同第六号証および同第一〇号証によれば、山田は同夜後記のいわゆる白タク営業に従事し、前記時間ごろ本件自動車に乗客五人を乗せて運転し、前記路上を時速約四〇キロメートルで函館駅前方面から海岸町方面に向つて進行していたが、事故地点に至る前自分の座席のずれを左手で直そうとして三、四秒間二、三回にわたつて下を向き前方に対する注視がおろそかになつていたこと、そのため重郎の横臥しているのを発見したのはその二メートルほど手前であつて、急拠制動措置を講じたが及ばず、本件自動車の左側前後輪で同人を轢過したこと、右事故現場は函館駅前交さ点東方四〇〇メートルの地点で平担な見透し良好の地点である(道路協には三〇メートル間隔に街路灯がついている)ことを認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。

そうしてみれば、本件事故が山田の前方注視を怠つたことによること即ち山田に本件自動車運行上の過失があつたことは明らかである。

三、そこで、原告らは被告会社および被告花谷はいずれも本件自動車を自己のため運行の用に供していたものであるからその運行による事故の責任を負うべきであると主張し、被告らは本件事故を惹起せしめた山田による本件自動車の運行は被告らとは無関係なものであるから何ら責任はないと抗争するので、本件自動車の運行と被告らの関係についてみると、

成立に争いのない甲第五号証、同第一一号証、証人原田義二の証言および被告代表者本人兼被告花谷修一の尋問の結果(いずれも後記措信しない部分を除く)によれば、本件自動車は被告会社代表取締役である被告花谷が個人として所有していたものであるが、右花谷の個人の用事ばかりでなく同人の被告会社代表者としての用務にも供せられていたほか、被告会社会計係が銀行に行くような場合にも利用されており、その修理、整備には山田や被告会社の社員があたり、その鍵は被告会社事務所の机に保管され、また、その車庫は被告会社事務所と同一棟の一かくにあつて、他の被告会社所有のトラツク、乗用車とともに格納されていたこと、一方山田は昭和三八年一月一四日ごろ被告会社の自動車運転手として雇われ、主に本件自動車の運転に従事したが、その寝泊りの場所が函館市東雲町六番地所在の共済自動車部品商会事務所であつて、夜間は同事務所がいわゆる白タク運転手の集合、連絡場所であつたことから、山田は被告会社入社と同時に、被告会社の勤務終了後の午後七時ごろから翌朝午前二時ごろまで本件自動車を用いて白タク営業に従事するようになつたこと、被告会社および被告花谷と右の共済自動車部品商会ないし白タク営業との関係は明らかでないが、山田は被告会社へ入社するに際し被告会社の代表者である被告花谷から白タク運転手としての成績をみて昇給を考慮する旨告げられたこと、従つて山田は被告会社から支給される一ケ月一万四千円の給料には同人の白タク営業における稼働労賃も含まれていると思つていたことをそれぞれ認めることができる。証人原田義二の証言および被告会社代表者本人兼被告花谷本人の尋問の結果中右認定に反する部分はいずれも信用することができない。

右に認定したところによれば、被告花谷は本件自動車を所有してこれを自己の用に供していたものであり、山田をしてその運転にあらためていたのみでなく、夜間における山田の本件自動車による白タク営業を容認していたことがうかがわれるから、本件自動車を「自己のために運行の用に供していたもの」であつて、その運行によつて生じた本件事故の責任を負うべき地位にあつたものということができる。また、被告会社についてみれば、被告会社は本件自動車の所有者ではないが、前記認定のとおり本件自動車を被告会社の用務に用いており、被告会社所有の自動車と同様に保管していたものであり、かつ被告会社と山田との雇傭関係、同人の自動車運転手という業務の内容および被告会社の代表者である花谷が山田の本件自動車による白タク営業を容認していたという諸事実からみて、本件事故の原因となつた山田の本件自動車の運行は、被告会社としても予期することができ、それはなお被告会社の注意と監督に服すべき関係にあつたものといわねばならない。

そうしてみれば、被告らはいずれも自動車損害賠償保障法第三条本文の責任主体であつて、同条但書の各免責事由を証明しなければ本件事故による損害賠償の責任を免れることはできないところ、前記のように本件事故が本件自動車の運転者である山田の過失によることが明らかであるから、被告らは連帯して右の責に任じなければならないものである。

四、そこで原告らの蒙つた損害につき判断する。

(一)  得べかりし利益の喪失

1、重郎が死亡当時満四二年の男子であつたことは当事者間に争いがなく、なお、三〇、〇〇年の平均余命年数を有していたことは厚生省大臣官房統計調査部昭和三八年度生命表によつて認めることができる。

そして、証人中塚嘉宣の証言および原告リヨウ本人の尋問(第一、二回)の結果によれば、重郎はイ、当時養父杉沢友太郎の経営する土木建築業杉沢組の会計事務や現場の見廻りの仕事に従事していて、同組から手当金名下に一ケ月二万円の支給を受けていたほか、ロ、友太郎の水田八反、畑三反を耕作しており、水田から年額二八万円、畑から年額金一〇万円相当の収獲をあげたが、費用が半分かかるとして田畑耕作による純収入は年額金一九万円であつたことが認められる。

原告らは重郎は山林約一〇〇町歩の管理と同山林からの造材によつても年収六〇万円以上の収入を得ていたと主張するが、右各証拠によれば、その山林一〇〇町歩は友太郎の所有であつたと認められるばかりでなく、五、六年前からの友太郎の負債を処理するため重郎生存当時からその処分が予定されており、その死亡後一年程たつて全部他に売却されたことが覗われるから、右山林の造材による収益をもつて重郎が生存していれば将来得ることのできた利益ということはできない。

また、重郎自身の生活費として一ケ月金二万円の支出のあつたことも前掲証拠によつて明らかであるから、重郎の得べかりし純利益を算出するにはこれを前記の重郎の年収から控除すべきである。

重郎が死亡した満四二年から満六〇年まで一八年間の稼働年数を有することにつき被告らは明らかに争わないからこれを自白したものとみなされる。そうすれば、重郎は右一八年間に毎年金一九万円の純収益があり、同人はその死亡により右利益を失い同額の損害を蒙つたことになるが、これをホフマン式計算法により中間利息を控除して本件事故発生当時における一時金に換算すると金二、三九四、〇〇〇円となる。

2、ところで、冒頭掲記の証拠のほか、成立に争いのない甲第一二号証の三および原告リヨウ本人の尋問(第一回)の結果によれば、重郎は事故前日(三月一日)松前郡福島町の自宅から函館市内に来たが、同日午後九時ごろまでの同市内における足どりは判明しているものの、その後事故までの行動径路は不明で、本件事故にあつた際、同人は相当量飲酒して、深夜とはいえ同市内でも交通量の多い道路の車道上に電車軌道敷き寄りに横臥していたことが認められるのであつて、重郎の自己の安全に対する注意義務の懈怠は極めて大きいといわなければならない。このことは重郎の損害賠償額について被害者の過失として当然斟酌すべきことである。そこでその点を彼此勘案して、前記得べかりし利益額の四割である金九五七、六〇〇円をもつて重郎の有した損害賠償額と認めるのが相当である。

3、以上を原告らとの関係でみると、原告リヨウが重郎の配偶者で、その余の原告らがその子であることは争いがないから、原告リヨウはその三分の一、その余の原告らは各六分の一の割合で重郎の損害賠償請求権を相続により取得したことは明らかであるが、原告らは既に重郎死亡による自動車損害賠償責任保険金五〇万円の支払を受け(これまた当事者間に争いがない)、それは原告らの相続分に応じた額で各原告の損害を填補したと推定されるので、これを控除して計算すべきであり、そうすると、原告らが重郎から相続して有する損害賠償請求権の額は原告リヨウが金一五二、五三三円、その余の原告らがそれぞれ金七六、二六六円となる(なお、原告らが運転者山田政一から香典として金一万円を受取つていることも認められるが、他に特段の事情の認められない本件においては、右の香典は重郎または原告らに対する損害賠償に向けられたものとはいえないから、これを被告らの賠償すべき財産的損害額に斟酌することはできない。)。

(二)  原告らの蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料

原告らが重郎の妻あるいは子として同人の本件事故による死亡により甚大な精神的苦痛を蒙つたことは、原告リヨウ本人の尋問の結果および本件口頭弁論の全趣旨に照らして明らかであるから、本件事故の状況、重郎の前記過失、その他諸般の事情を考慮し、その慰藉料額は、原告らが本訴においてそれぞれ請求する各自金一〇万円をもつて相当と認める。

(三)  その他

本件口頭弁論の全趣旨のほか、原告リヨウ本人の尋問(第一回)の結果によれば、原告リヨウが重郎の葬式費用として本件事故のあつた日ごろ全一〇万円を支出したことが認められるから、同原告は右支出金額相当の損害を蒙つたといえるが、前記重郎の過失その他を斟酌して、金四万円をもつて被告らの同原告に対して負うべき右葬式費用の賠償額と認める。

五、以上により、被告らは連帯して イ、重郎の有した損害賠償請求権を原告らが相続した分として、原告リヨウに金一五二、五三三円、その余の原告らにそれぞれ金七六、二六六円 ロ、原告ら固有の慰藉料請求権につき、各自に金一〇万円、および ハ、原告リヨウの積極的財産損害の賠償として同原告に金四万円を支払う義務がある。

よつて、原告らの本訴請求は、右各金員およびこれに対する本件不法行為の日である昭和三八年三月二日以後の年五分の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用については民事訴訟法第八九条、第九二条但書、第九三条第一項本文を仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大石忠生)

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